Make your own free website on Tripod.com

特集記事アーカイヴ Issue 2002.03-04

言葉とリズム

Text: 青柳拓次 Takuji Aoyagi

2001年、京都にある精華大学にて『言葉とリズム』についてレクチャーをすることがありました。20世紀中に起った"詩と音楽の出来事"、そしてその背景とストリートカルチャーの関連について、歴史的な映像とCDを流しながら、随分と時間をオーバーしつつ、TOWER RECORDS bounce誌編集長ダイサク・ジョビン氏と話をしたのです。レクチャーの後は、トランクルームというカフェに移動して、オープンマイク『WORDS MEETING』というイベントを開催しリーディングの夜を楽しみました。その場所で以前、東京のBOOK WORMがリーディング・ツアーを行ったこともある馴染みのあるお店です。

さて、ここからはレクチャーの中でダイサク氏がトイレに行っている間、少しだけ触れた私自身の制作方法について、書いてみようと思います。

私の制作法は、純粋に言葉だけで表現するという目的の場合、日常生活の中で、まず思いついた一行一行を書きつけることから始まります。

それは、瞬間を写真のように捕えるような、なのに写真に映らないその背景まで浮かび上がらせ、言葉を真実のいちばん近くに存在させる、という希望的行為です。

それはノートでもスーパーのレシートでも電話のメモ帳でも何にでもよく、それをレコード屋の袋等に突っ込んでおきます。一つの詩に成り得る一定の言葉量が溜まったところで、順序を気にせず一行一行を今度はマッキントッシュのワープロソフトに打ち込んでいきます。そしてコンピューターの画面上で、行や言葉を入れ替えたり削除したり付け足したりして仕上げます。できあがったらその日は詩を寝かせて、翌日再びその詩を眺めます。そこでは一つ一つの言葉に注意ももちろんするのですが、詠む時のリズムを特に注意します。私の詩には歌の休符のようなものが必要です。言葉が流れていない時に部屋の空気が循環している音や、外を走る車の音がその隙間を埋めるのです。

こうしてできあがった詩を、画面上の『拓次詩集』のフォルダに移動して保存しておきます。しかし、私はその詩を見る度に修正したくなる気持ちにさせられます。詩が確実に自分の身から切り離されたと私が感じるのは、詩を発表した後です。世の中に作品として出ていくと、朗読する時以外はあまり読むということをしないので、直す気持ちも起りません。詩がひとりでに歩き出すのを傍観するのです。

歌詞として作り上げる場合は、制作の順序が随分と変わってきます。グループで演奏する場合、私が歌詞を書くのはLITTLE CREATURESの時に限られますが、まず曲の制作を先行して行います。三人で音を出しながらアレンジや編成を考え、メロディーも大方決まったところで、録音に入ります。そして楽器の演奏がほとんど録音された頃とほぼ同じ時期に来てやっとメロディーに合うリズムを持った単語を英語の中から探していきます。

LITTLE CREATURESで作詞をする場合、殆どが英語によって書かれるのですが、それにはこうした理由が上げられます。曲の制作段階から既に英語のような響きを持つメロディーにはやはり英語を使うと言う事です。もちろんアンサンブルにマッチするリズムの言語ということもあります。また、英語の辞書を持っている人ならば何処の国の人にも読んで味わってもらうことができるという利点もあります。さらに、聞き手と作り手の相互理解のズレや予期しない楽しい誤解というのも生じてきます。

私は歌詞を聞いて瞬間的に意味を提示することより、まずは音として言葉を使います。言葉を楽器のフレーズの一つとしてつま弾くというわけです。そして、作品の意図をなるべく正確に伝えようとするよりも、リズムと一体になって誤解や何かを蜂起する言葉をキーワードのように振りまく、という手法を選んでいるのです。

さて作詞に話を戻すと、次にいくつかの候補になる言葉を選び、パズルの要領で単語を組み合わせていきます。時に思わぬ造語が生まれてくることもあります。また、普段からストックしている言葉も使用する場合があり、そこで生まれた広がりのある不思議な言葉達に最終的に決断をし、歌詞として形にします。

私の音楽的な言葉の影響にはこうした考えを持っています。世界中のポップミュージックやフォークミュージックの大部分には、歌詞といわれる言葉が乗っているわけですが、これは音楽の性質と相まって、大衆的で理解に苦しくない内容がその地方やその国の言葉で書かれています。

一方、アンダーグラウンドから派生した音楽の中には、一つの民族や国民だけが独占的に楽しむのに適さない作品が数多く存在します。ハウスやテクノ、2ステップ、ドラムンベース、それにエレクトロニカや音響的な作品等、これらは現代の最も国境を越える力を持った音楽の代表でしょう。そしてそこには、今までに存在していた歌詞というものから少し距離がある独特な言語感覚があります。例えば、短い標語のような言葉やくり返し歌われる一行の歌詞、ヴォコーダーといわれる人間の音声をロボットのような声に変換してしまう装置を使用した歌、ある時は民族的な歌唱法で歌われる映画の台詞のような歌詞、等々。それらは、過去のレコードからサンプリングされた声を元にしている場合もあるでしょうし、自分で録音した声をピッチ・チェンジャーで上げ下げしてできあがった声であったりするわけですが、その多くは英語を使用しています。しかし、その他の言語でもエキゾチズムを抱かせるのにとても効果的な使われ方がされている場合もあります。

こうした音楽を愉しみながら、私は『街に溢れている言葉は殆ど情報である』と友人が言った言葉に賛同しています。道には標語や交通標識があり、スーパーには値段表があり、商品の宣伝文句もあります。テレビでは家族愛をうたう保険会社のCMがあり、バラエティー番組には大きな文字のキャプションが映し出されます。私はこれらの言葉は情報であり、かつ日常的な言葉だと感じます。こうしたありふれたものに影響をうけながら、普段の人と人の会話、そしてそのシチュエーションを観察し自分の反応を見つめるのです。
 私は、他者の作品の中に、日常の自由を見つけた言葉に出会うと心から震えます。精神が躍動するような感覚を引き起こす歌詞には、必ずしも現在の日本の音楽によく見られる励ましや慰めの言葉が入っている必要はないでしょう。

今、インターネットでは世界中の多様な言語を見ることができます(とはいっても世界の大部分の人々はインターネットなんかやったことがないという事実もありますが)。

そして過去も現在も、言葉とリズムは常に変化しています。同時に、いつまでも美しい古い言葉があります。また、本を読まなくなった世代には、独特な言語感覚と文章が確実に存在しています。そこで欠如してはならないのは、食べ物の味が分からなくなってきている現代人が、ある言葉に反応し、味わうことができる味覚のようなものに神経を使う、『美しい言葉がある』という大きな前提を忘れないということではないでしょうか。


Takuji Aoyagi 青柳拓次
音楽活動家
DOUBLE FAMOUS、LITTLE CREATURESのメンバー。ソロのKAMA AINA名義では映画音楽やコンピレーションを制作。
言葉のイベント『BOOK WORM』を山崎円城らと主宰。雑誌『BOOK WORM Mag』がこの春に創刊。


このページのトップへ
連絡先:ポエトリーカレンダー編集部: 詩の朗読に関する情報募集中です。